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大阪高等裁判所 昭和35年(う)1992号 判決 1961年12月15日

被告人 森田昭次郎 外一名

主文

原判決中被告人森田に関する部分を破棄する。

被告人森田は無罪。

被告人高橋の本件控訴を棄却する。

理由

被告人森田の弁護人安藤真一、奥村孝の控訴趣意第二点(過失犯における注意義務の判断に誤がありとの主張)について、

よつて案ずるに、原判決はその挙示の各証拠により論旨摘録の如き事実を認定した上、原審における弁護人の主張に対する判断として、被告人森田が市バスの発車前左右を注視し同踏切に接近する列車の有無を確めたこと、及び本件踏切内にバスを乗入れた後右方即ち上り両側線上を注視した後、踏切内を通過する車輛や歩行者を警戒するため前方を注視したこと並びに遮断機開放の際外側線を通過した貨物列車の後尾が本件踏切の東方約八〇米の地点を進行中であり、これに妨げられて下り線を見透すことができない状況にあつたことを認めながらも、同被告人としては遮断機の操作のみを過信することなく、踏切内にバスを乗入れた後も、接近して来る列車の有無を確認し、列車との衝突を防止しなければならない義務があり、その方法として遮断機が上昇を開始しても、直ちにバスを発車せしめることなく、貨物列車が行き過ぎて下り線の見透しが利くまで待つか、或いは同踏切に乗入れた後、見透しが利く地点に来た際直ちに下り線側を注視すべきであり、もし踏切内の人車の動静に注意を払う必要上、下り線上を注視することができないと判断した時は直ちに車掌に連絡してその注視並びに接近列車あることの合図をなすことを分担せしめることも敢て不可能でなかつたと認められると判断して同被告人に過失ありと認定したことは所論指摘のとおりである。しかしながら原判決認定の如く本件国鉄の踏切には専任の踏切警手を置き踏切の安全管理、列車監視等の業務に従事せしめている場合において、踏切警手が過失はあつたとしても、安全通過を確認した上で昇降式遮断機を開放した以上、同踏切を通過しようとして閉塞中の遮断機の手前で停車待機していた被告人森田が該遮断機の開放に信頼を置きその開放中は列車の進入はないものと一応信ずることは強ち無理からぬことと認められ、(東京高裁、昭和三四年二月一七日判決、高裁判例集第一二巻第二号四九丁以下参照)従つて同被告人の踏切通過に際して、列車が進入するかも知れないことに対する注意義務は或る程度軽減せられるものというべく、原判決確定の事実によれば、同被告人は右遮断機の開放に信頼を置きながらも、自らも又バスの発車前左右を注視し同踏切内に接近する列車の有無を確めた―当時本件下り快速電車は左方遙か三〇〇米以上の地点を進行中で事実上確認できない事情にあつた―というのであるから、同被告人が本件踏切を無事に通過できると信じて踏切に向つてバスを出発せしめた点については咎むべき何等の過失も存しないといわなければならない。もとより国鉄踏切警手の踏切の安全確認、遮断機の措作には時に過誤なきを期し難いことは原判決認定のとおりであるけれども、これは極めて稀れなことであり、且つ叙上の如く注意義務が軽減されたと認むべき被告人に本件国鉄踏切警手の遮断機の開放を信じたことに過失ありと認めるためには、当該踏切警手の遮断機の開放に過誤があつただけでは足らないのであつて、該過誤があるかも知れないと思料すべき特段の事由を具体的に認識し又は認識し得べかりし事情にあつた場合に限るものというべきである。然るに原判決は何等この点について判断を示していないのみならず、原審並びに当審の証拠調の結果に徴するも、同被告人にこの点につき過失ありと認むべき証跡はついに発見できないのである。さすれば原判決が本件の過失を認定する理由の一として、同被告人にバスの発車前接近して来る列車の有無を確認するため、上り貨物列車が行き過ぎて下り線の見透しが利くまで発車を待つべき業務上の注意義務があると認定したのは、当裁判所の右判断に牴触し、失当のそしりを到底免れないのである。

然らば次に、同被告人に本件バスの発車以後において原判決認定の如き過失があるかどうかの点を案ずるに、原判決確定の事実並びに当審の証拠調の結果によれば、本件事故当時本件踏切を通過する列車は一時間につき上り列車一五本、下り列車一七本の多きを数え、本件踏切の遮断機の使用回数は一時間一四回で、一回の遮断開放時間は約一分半(大阪鉄道管理局長の本件事故に関する照会に対する回答書並びに六甲道駅長作成の駅務報告参照)である上に、本件踏切は原判示の如き幹線道路である関係から歩行者や各種自動車の交通量も激しい個所であること並びに同被告人が本件踏切の通過に際しても、又同様の状況にあつたことが認められるから、かかる危険にして且つ混雑する踏切を約一分半の開放中に通過しようとする歩行者並びに各種自動車の運転者は急速にしかも秩序よく行動して事故の発生を防止する様努むべきであることは当然の事理というべく、従つて同被告人の本件踏切の通過に際しても右の事情を勘案するにおいては、約一分半の開放時間内に踏切を通過するものであるから列車の進入の有無についての注意義務もさることながら、同方向又は反対方向から来る人車との接触を避けつつ、急速にしかも秩序よく行動しながら、細心の注意を払う必要があつたものと認められるところ、右証拠によれば同被告人は前段認定の如くバスの発車に先だち左右を注視して列車進入の有無を確めたものであり、更にバスを発車して踏切内に進入せしめてからも、右方を注視して列車進入の有無を確めると共に、通過する人車との接触を避けるためにも細心の注意を払いながら前方を注視しつつ約一分半の開放時間内に通過を了えるべく急速に通過しようとしている内に本件下り快速電車の進入する左方の注視が一瞬(この一瞬は原審に現われた諸証拠とバスの進行地点、衝突の時間等から帰納するときは僅か一、二秒の時間である)遅れた事情―ちなみに同被告人の本件バスの出発から衝突事故迄の経過時間は約八秒である―が認められるのである。而して原判決はその理由において、同被告人の本件踏切に乗入れてからの右方の注視は上り列車が通過した直後であり数秒以内に後続列車のあることは予想し得ないところであるから必要なく、接近列車のあることを予想し得る左方をこそ注視する必要があつたにも拘らず該左方の注視を怠り又は左方確認の時期が遅れた点においても過失が認められると判断しているのである。しかしながらこれは事後における審査の結果いえる論拠であり、事前においては右方も左方と同じく列車が進入するかも知れないという抽象的な危険はあるものというべきであり、バスは先ず上り線を通過するものであるから、同被告人がバス乗入れ後先ず上り線上の右方を注視したことを目して不必要であつたとは俄かに断ぜられないのみならず、前段来詳細に説明したとおりの具体的諸事情を総合して勘案し、これに前段説明の注意義務の軽減されることを参酌するときは、同被告人のバス乗入れ以後において採つた措置は正当であり、左方を注視するいとまがなく、一瞬遅れたことはけだし止むを得ない事情によるものと認められ、従つて原判決が同被告人の左方注視懈怠の一事のみを捉えて他のこれに随伴する一切の具体的諸事情を無視し以つて本件につき過失を認定したことは失当であると認められ、これ亦当裁判所の是認し得ないところである。

しかのみならず、仮に万一同被告人に右の点において過失が認められるとしても、原審並びに当審の証拠調の結果を総合して見るときは、同被告人に右過失なかりせば、本件の如き具体的事情の下に本件事故を果して防止したであろうとの心証は当裁判所としてはついにこれを惹起することはできないのである。

これを要するに、本件については同被告人には過失は認められないし、又同被告人の過失に因つて本件事故を招来したものとも認められないにも拘らず過失ありと認定した原判決は失当というべく、到底破棄を免れない。論旨は理由がある。

同弁護人の爾余の控訴趣意に対しては、原判決を破棄し自判すべきにより判断を省略することとする。

被告人高橋の弁護人沢村英雄の控訴趣意について、

所論は要するに、原判決の量刑の不当を主張し諸般の事情を斟酌の上是非執行猶予の判決を賜りたいというにある。

よつて所論に鑑み記録を精査検討するも、同被告人の本件過失の態様、被害の程度(五人死亡、一四人重軽傷)その他記録に現われた諸般の犯情に照らすときは、所論を十分考慮するも原審の科刑は相当と認められ、刑の執行を猶予すべき特別の犯情があるものとは到底認められない。

よつて同被告人の控訴は理由なきものとして刑事訴訟法第三九六条に則りこれを棄却すべく、被告人森田の控訴は理由あるを以つて同法第三九七条に則りこれを破棄し同法第四〇〇条但書の規定に従い自判すべく、而して同被告人に対する本件公訴事実は結局犯罪の証明がないから同法第三三六条に則り主文において無罪の言い渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 児島謙二 畠山成伸 松浦秀寿)

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